ワッペンの歴史(紋章)について
ワッペン『wappen』とは
武器(おもに盾(たて))を意味するドイツ語で、「紋章」をいいます。
ワッペンの始まりは、紋章と言えます。
紋章とは
自分の家その他を視覚的かつ直覚的に他と認識する固定的な標識として、特定の図様的特徴をそなえた形象を選定したものをいい、そん紋章がなんの標識であるかによって、
(1)家紋あるいは氏族紋
(2)国家紋
(3)都市、司教区、同業組合、学生団体その他の団体紋
(4)官職を表示する官職紋
、などに分類することができる。
ワッペン(紋章)の歴史
前3000年以前に作成されたとみられる、アッシリアの太陽神で戦いと狩猟の神であったニニプの像も、子の神の標章すなわち力のシンボルである百鳥の王ワシを左手にしっかりとつかんでいるし、ローマ帝国の軍団の軍旗も、その上に勇武と権威のシンボルとしてワシを取り付けて敵を威服していたから、紋章の先駆けをなすとみられるものは極めて古くから存在していたわけである。
しかし、急速に一般化し、個人に普及しはじめたのは、12世紀初めの第一次十字軍遠征のころからであった。
従軍した騎士たちは鎧を身に着け、冑をかぶって完全武装し、面部を隠していたため、戦場において敵味方を識別することが困難であったから、盾、旗、胴着、マント、馬覆い、鞍、テントその他の器具に個人を識別する印を描いたり、刺繍あるいは彫刻を施して標識とした。
当初は、司令官や騎士たちの所在や所有物を表示するためであったが、のちには特定の家あるいは家系に属する一員であること、特定の領主に臣属する一員であることを表示する標識となり、世襲的な標識としての紋章の性格を漸次確立した。
紋章を持つことは、古くは貴族のみの特権であったが、次第に他の階層にも広げられ、14世紀に入ると市民や農民にも授与されるようになり、14世紀後半には、都市や学生の団体なども紋章をもつようになった。
また、紋章は発生の初期においては採用が自由であったが、のちにはその使用は権利として保護されるようになった。
〜ブリタニカ国際大百科事典より〜